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我々が何に動かされているのか?

  • 執筆者の写真: Captain AT
    Captain AT
  • 2024年11月19日
  • 読了時間: 5分

前回のおさらいとして、我々は物事に対する行動や言動は、論理的に考えて決めているようで、実際は最終的に感情によって決めている。そして、その感情は脳の基本プログラムである何かによって左右され、それは自分で選んでいるようで、そうではないという事でした。では、その基本プログラムとなるモノは何なのか?

それが問題となってきます。


人によっては、深層心理とかハイヤーセルフ、真我、第六感などと言われたりしますが、科学的には実際は解っていません。

そこで、これらが関係しているのではないか?というものを挙げてみようと思います。


  1. 子供の時に刷り込まれるプログラム、または脳の可塑性によって形成されるプログラム 環境、教育、プロパガンダ、洗脳、同調圧力などによって得られる習慣的・学習的なプログラム。


  2. DNAによって継承される生物学的特性

    動物的特性や生存本能(いわゆる爬虫類脳)など、遺伝的に受け継がれる基本的な生理・心理的傾向。


  3. エピジェネティクスによる遺伝子発現の変化

    環境要因や経験によって遺伝子の発現が変化し、それが感情や行動に影響を与える現象。


  4. 霊的・超自然的要因

    先祖や前世、宇宙存在や精霊などからの導きなど、科学的に解明されていない霊的な影響。


  5. ユングの集合的無意識と心理的アーキタイプ

    人類共通の無意識的な心理構造やテーマが、個人の感情や行動に影響を与えるという心理学的理論。


現在考えうる要因は、この5つだと僕は思っています。

(この世界が、完全なシミュレーションでない事が前提ですが・・・😁)

そして、論争になるのが、1~3だと主張するグループと、4・5が主だと主張するグループの対立と、かなり大まかですが、そう思っています。


論理的に考えると、1~3が妥当だと思われるのですが、実体験では、4・5の要素も捨てがたい。


なぜなら、1~3では説明のつかない現象が実際に起こっているからです。

例えば、前世の記憶を持つ人がいて、実際に検証もされたケースもかなりの数、報告されていますし、また面白いのは、それらが世界的に存在する事です。

それは、前世や来世、輪廻転生が信じられていない思想の中でも存在するという事です。


また、我々の身の回りの子供たちを見ていても、どうしても家庭環境や教育、DNAだけでは語れない子供たちの特性の違い。

つまり、どうしてそうなったか解らない性格形成が多数存在する事です。


また、近年インターネットの普及により、より多くの事例を見ることが出来きるようになり、明らかに子供とは思えない(刷り込まれたものではない)言動や行動をとる子供たちが多数見受けられます。


これらの事によって、我々の感情を形成する要因が、脳による操作だけではないのではないか?という考えに帰着するわけです。


結論から言うと、これらは複合して働いており、どれか一つの影響で起こっているのではないと、私は思っています。言うなれば、4輪のクルマが3輪ではまともに走れないように、全ての要素によって支えられているのではないか?と思うのです。


しかしながら、人間というものは、特に左脳優位な社会において、効率化、合理性を求めるあまり、どちらかに偏って考えがちになってしまいます。


また、スピリチュアルは右脳と表現される事も多いようにも思いますが、僕は、それは違っていると思っていて、スピリチュアル理論を選ぶという事すら、そのように左脳で判断している。


言い換えると、左脳の機能を放棄すると左脳で決めていて、左脳を遮断しプログラムに任せるという考えに見えるのです。


要するに、自分で決めないという事になり、

「流れに任す」と言えば聞こえはいいですが、それは、基本プログラムが優れていた場合にのみ、上手く機能するわけで、動物的な生存欲求や快楽追求、逃避などの行動に走ってしまう恐れがあると思うのです。


また、逆も言えます。左脳でいろいろと解析し(この考察もそうですが(^^;)あれとこれとの因果関係は?共通点は?これには関連性があるのではないか?などと考察し、ともすれば、自分の思想に強引に結び付け、結論を導き出そうとする。

これによって、パズルを解くような気持ちよさはありますが、結局それは自分に都合の良い回答、納得行く回答にしか行き着かない。

これもまた、自分で決めているようで、思考をこねくり回した挙句、結局感情に左右された答えに行き着くのです。


という事で、我々が何に動かされているかの話に戻すと、これは僕の意見ですが、両方必要という事になってくる。


そういうと、どっちつかずな意見になってしまうようですが、イメージとしては、自動車の運転に似ていて、自動車自体が我々のボディーであり、潜在意識やDNAはその車の性能で、運転者自体がスピリチュアルな存在というか、魂なのか真我なのか?そのようなもののように思うのです。


自動車の整備や性能の向上には気を配る必要があるが、運転者の気持ちや精神状態のケアも必要で、両方整わないと上手く走れない。

ブレーキやアクセル、エンジンや足回りの潤滑油、安全装置がきれいにメンテナンスされている必要があるし、運転する者の精神状態も恐れや警戒ばかりでもだめ、自己主張も必要だけど、余裕も必要、一番良いのは無心である事、急なトラブルにも即座に対応できる状態。

それは、力の抜けた集中した状態であり、そして、他者への思いやりや譲り合いの心や、目的地は決まっているが、そこへ着く時間は決めないなど、今に重心を置いた心構えなど、


このようにして自然に運転するように、我々の人生も、総合的な要素が絡み合って、我々の選択は行われ、進んでいるように思うのです。


車の状態も大事。(脳科学・医学・セルフケア)

運転者の精神状態も大事。(スピリチャル・精神)


という事で、この二つを切り分けるて論じる事も出来ますが、結局お互いに絡み合って成り立っているので、一緒に考えるしかないのかなぁ~


と私ATは考えたりしているのでした。

 
 
 

1 Comment


Y 平野
Y 平野
10時間前

有象無象関係なく考えるならば、それらはすべて「エネルギー」と捉えられるということでしょうか。

それがどういった有形無形の仮の名前をもったものでも、何かしらのエネルギーであるならば、

この思考自体もエネルギーのように思いますし、ではこの思考だけでとどめたエネルギーはどこへいくのでしょうか。行動しなかったら、そのエネルギーは、どうなるのか?

行動しない自分という存在に暗い影を落とすためのエネルギーなのか、未来へのエネルギーの貯蓄なのか。

いや、こうしたボーダーを引く時点でナンセンスなのか。

そのエネルギーを自分がどうするかは、それこそ「自分で決めて行う事」なのでしょうか。


と、ふと考えてしまいました。

変なコメントであること、失礼と存じつつも、自分へのメモも含めて書かせて頂きました。

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